【Vol.446】
40代女性の身体と心の不調を改善!
身体×呼吸×色彩心理で
トータルケアを伝える
ボディカラー®︎メソッド創始者の
山田祐子です
悲しみは2年。
正直「死」という意味を
初めて知りました。
もう2度と会えないということ。
当たり前は当たり前ではなかったという現実。
口でいうほど簡単ではない想い。
街で母によく似た女性を見かけ、
後を追ってしまうほどに。
でも、
時間というものは
ゆっくりとその悲しみから
私を解放し、
前に進む勇気を与えてくれて。
そして、そう在ることが
母が一番に望むことだと
思えるようになりました。
母のそばにいるために
借りていたアパートを出て、
今住んでいる大宮に引っ越したのは
2000年のこと。
仕事もちょうど
楽しくなってきた頃でしたが、
ふと、
人生を大枠で捉えた時、このままで良いのだろうか?
人生設計をどう考えるのか?
と考えるようになっていました。
母はよく
女性が幸せになるための話をしてくれました。
その中で「産む時期」
という話もよくしてくれました。
特に私たち世代は
キャリアを積む女性が多くなり、
名実ともに男女平等をうたい
女性が活躍する時代でした。
この辺りは選択の自由がありますので、
何が良いということはありません。
ただ、私は「家庭を築く」
という決断をし、
大好きな仕事や仲間と
一旦「さようなら」
をすることになります。
17歳からスポーツクラブに身を置き
エアロビクスに親しんでいたので
自分の意思で辞めたとはいえ、
それは空虚さの極みでした。
それから間もなく、
妊娠がわかり、喜びもつかの間
流産という悲しい現実と対峙することになります。
ここでも私は人に救われることになります。
結婚をすれば、
子供は自然に授かると本気で思っていました。
ところが最初の子供を初期の段階で流産。
相当のダメージでした。
自然淘汰であるとわかってはいても、
残念で仕方がありませんでした。
そんな時
「ああ、お母さんが居れくれたらな。」
とどうしようもない気持ちを
持て余す時間が続きました。
産婦人科は
「お産」=幸せの場所
のイメージがありましたが
あの時ほど辛い場として
写った日はありませんでした。
無事に手術を終え
(半日のあっという間の処置でした)
その後、私の憔悴した姿を見た義母が
「実家に子犬が産まれたから、飼ってみる?」
と提案をしてくださり、
我が家に可愛い子犬がやってきました。
COCOは2016年3月、
13年間私たち家族を見守りながら
病気ひとつせず息を引き取りました。
この義母の一言にどれだけ救われたことか。
そしてCOCOの存在が固まった心を癒し
流産から4ヶ月後に長男を、
それから2年ごとに長女、次女を出産し、
あっという間に3人のママに(笑)
なぜ3人?
それは、
「私がこの世からいなくなっても
3人いればなんとか助け合い、
力を合わせて生きていける!」
この想いだけでした。
そして、毎日、毎日、毎日、、、(笑)
子育てに奮闘する日が続くのです。