悲しみは2年。
正直「死」という意味を初めて知りました。
もう2度と会えないということ。
当たり前は当たり前ではなかったという現実。
口でいうほど簡単ではない想い。
街で母によく似た女性を見かけ、後を追ってしまうほどに。
でも、
時間というものはゆっくりとその悲しみから
私を解放し、前に進む勇気を与えてくれて。
そして、そう在ることが母が一番に望むことだと思えるようになりました。
母のそばにいるために借りていたアパートを出て、
今住んでいる大宮に引っ越したのは2000年のこと。
仕事もちょうど楽しくなってきた頃でしたが、
ふと、
「人生を大枠で捉えた時、このままで良いのだろうか?」
「人生設計をどう考えるのか?」
と考えるようになっていました。
母はよく女性が幸せになるための話をしてくれました。
その中に「産む時期」という話もよくしてくれました。
特に私たち世代はキャリアを積む女性が多くなり、
名実ともに男女平等をうたい女性が活躍する時代でした。
この辺りは選択の自由がありますので、
何が良いということはありません。
ただ、私は「家庭を築く」という決断をし、
大好きな仕事や仲間と「さようなら」をすることになります。
17歳からスポーツクラブに身を置きエアロビクスに親しんでいたので
自分の意思で辞めたとはいえ、それは空虚さの極みでした。
それから間もなく、妊娠がわかり喜びもつかの間
流産という悲しい現実と対峙することになります。
ここでも私は人に救われることになります。
〜産婦人科という場所〜へ
つづく、、、